月草茶ばなし

何でもないことを、お茶の時間に楽しめるように、作家未満の物書きが綴ります。

当たるも八卦当たらぬも八卦、というスタイル

占いが好きである。

 

その結果により人生を左右させたり、恋人と結婚できるかとか、前世からの荷物があるからなどということではなく、「昔の人が必死に未来を探ろうとした」という確固たる事実が好きで、その延長上の「少しだけそうかもしれないよね」という未来予想が楽しい。

(ちなみに、嫌な結果は記憶から削除する。占いの結果、嫌な気分で過ごす必要はないから)

 

最近、色々なネガティブを受け止め続けた結果、現状の自分は悲観的であまりいいコンディションとは言えなくなってしまった。

 

noteは書けない、読書も楽しくない、休みに休息ができない、イライラ、うにゅうにゅ(?)。

 

そう気づき、ふと20代を振り返ってみた。

自分は現在29歳。あと数か月で30年生きたことになる。

 

20代といえば楽しい時期だと人は言う。

学ぶ年齢で、遊ぶ年齢で、痛い思いもすれば楽しく美しい体験もするのだと。

 

残念ながら、自分にはそれがなかった。

 

積み上げてきたものがないとは決して言わない。

それでも、この10年を思い返すと印象に残ったことがほとんどなかった。

 

必死で生きた。ただそれだけ。

 

「一般人」と違うことをまざまざと突き付けられ、「社会人」として不合格であることを奥歯で味わい、それでも取り繕って生きたのだろう。

 

占いが言ってた。「あなたは十分頑張りました」

 

あぁ、頑張ったのか、そっか。

 

10年を振り返って「ひえ」と小さな悲鳴を上げ、その先にある未踏の10年に「わぁ」とあきれた声を出す。

 

せっかくの未踏の道を、同じ色で塗りたくはない。

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フリーランス、という言葉が頭の中でぽわぽわ光っている。

会社に縛られた10年を過ごした。「安定」と必死に手を繋ぐ10年を過ごした。

 

もういいかな。占いが言う。「あなたは下半期、心を取り戻す」

 

当たるも八卦当たらぬも八卦

占いというのは、結局のところ、自分で成果を出すときの言い訳だ。

 

やりたいことがあるならいけばいい。

迷子なら占いが言った方向に試しに進んでみればいい。

 

まだ思い付きほやほやの「フリーランス」という言葉。

なにから手を付けていいのか、正直、まったくわからない。

 

ただ、思い立ったのでやってみようと思っている。

 

当たるも八卦当たらぬも八卦。(この言葉が好きらしい)

 

どうせ自分の一度きりの人生なのだから、後悔しようと悔いなき道を歩んでみたい。

 

(※noteで書くと、優しい人からあまりにも暖かい言葉をもらえてしまうけど、最近その事実に少しもやもやがあるのでこちらだけに書いてみました。noteはねぇ、小説だけにしたいなぁと思う今日この頃)