月草茶ばなし

何でもないことを、お茶の時間に楽しめるように、作家未満の物書きが綴ります。

30歳になってからの悩み。それを理解するための最初の一歩

写真ACからお借りしました

年齢が30になって数か月経った。

 

いやでも、結婚という言葉を意識せざるを得ない年齢になった。出産という言葉もまた同じく。

 

Twitterでも、結婚をしていない女性や、ジェンダーの話など、絶対的だった【性別】の基盤が揺れ、それに伴って【結婚】や【恋愛】という定義も揺れていると思う。

 

自分も考えることが多くなった。

例えば、【子ども】とは可愛く大切な存在だと知っている。

が、悲しいかな。

若者に降りかかる経済的な問題や、異性パートナーの理解が浅いというマイナス部分があまりに大きく見える。

 

実際、街中で見るのが、たいていお母さんと赤ちゃんだけという事実が、よりマイナス面を大きく見せてくる。

 

しかし、【自分の両親はもう孫がいてもいい年齢である】という事実を考えると、どうしても気分が落ちていく。

何か、悪いことをしているというか、親孝行が全くできていないような気がしてしまう。

 

そして、自分はこのまま結婚しない方向で生きるのだろうという漠然とした心の覚悟があることが、なおさら、ひそやかな罪悪感を増幅させる。

 

両親は、そのことについては一言も何も言わない。

自分の好きなように生きればいいという。

そういうのには個人差があるから、と。

 

今までずっと、自分は中性的な性質だと思って生きてきた。

そのせいもあるかもしれないが、結婚願望どころか、恋愛にまったく興味がない。

 

最近、それがちょっと病的なレベルだと気が付いたが、たぶん、人嫌いという根っこの部分が強く影響している。

 

女友達が、街で吞みながら行う【街コン】で相手を探していると聞いて、「大丈夫なのそれ」と危うさを感じた。そこまでして恋人や理解者が欲しいというのが全く理解できない。必要とさえ思えない。

 

今の生き方が好きだ。

 

創作をすること、知識を得ること、しいてほしいならば、この二つの力になる人が欲しいが、それさえ、ネットの中の付き合いでほどほどに満足している。

 

結婚すること、恋愛することはとても楽しい時間なのだと思う(結婚については、そう信じているといったほうがいいが)

 

【何事も経験】とは思うけれど、今の生き方・在り方に満足し、他の人が必要としていることが理解できないものの、それを否定をする気もない。それはきっと、人それぞれだろうから。

 

ただ、その友人に限っての話なのだが、【彼氏にフラれたから鬱になりかけた】はちょっと大変なので、一緒にいたい願望もほどほどにね、と常に思っている。

 

すべてにおける最初の一歩。

 

理解できないとは思いつつも、相手のことを理解しようとすること。

そのために、自分は常に考えよう。

 

それがたとえ、永遠に答えが出なかったり、自分には太刀打ちできないような大きな問題であろうとも。