月草茶ばなし

何でもないことを、お茶の時間に楽しめるように、作家未満の物書きが綴ります。

風が吹けば書けるのに


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そう考えるのは傲慢かな、とも思う。

 

文章を仕事にしている人にこの言い訳は許されない。

 

しかし、幸い、「これから」頑張ろうという身なので、今はこれに甘えてもいいかー。

 

みんなが【インプット】と使うもの。それが自分にとっての【風】だと思っている。

音楽や新しい出会い、新たな体験をすると、心の中に風が吹く。

 

ここ数か月、その風が吹かなくなった。

 

今まで【楽しい】だったことを、【楽しい】と思えなくなった。心が感じなくなった。

 

だから、noteにもブログにも、物理的な日記にさえ手を付けられず、書きたい衝動だけはあるのに実際にペンを持ったり、キーボードに指を添えるとピタリと何も動けなくなっている。

 

浮かばないのだ。何も。

 

なんだか、死を疑似体験しているようだった。

 

もちろん、書かなければ死んでしまうというわけではないけれど、それでも心は死に続けている気がした。

 

同時に、本も読めなくなった。

 

面白くないのだ。以前は辞書でさえ面白いと思いながら読んだ人間が、こうなるなんて誰が想像できただろう。

 

空っぽだったらまだよかった。足元さえおぼつかない日々に、無になった気がしている。

 

風が吹かない。

 

21日、初めてデザインフェスタに赴くことになった。

 

売り子の手伝いとしてひょこっと顔を出すだけだが、【ハンドメイド作家】という人達の在り方は、なんだかすごく眩しい。

 

もちろん、想像を絶する苦労もあるんだと思う。

それを予想した上で、やっぱり思う。

 

一つ一つの作品に想いが込められている。その人の人生観や、何かキラキラしたものが手に取る作品に秘められている。

 

「あぁ、いいなぁ」

 

こういう輝きは、自分も知っている。

自分の中にあることを知っている。

 

それが出てこないのがひどく歯がゆい毎日だけれど、その間に体験できないこと、したことのないことをすべてやりたい。

 

本が読めないのならば実際に行けばいい。

面白く思えなくても、本物を目にすればいい。

 

仕事も不調で出勤日が少なく、自由にできるお金は少ない。

 

それでも、できることは何かある。

 

心が風を感じるまで、待ってみる。