世界がきれいに見えたから
「エッセイが苦手である」
一番印象に残っているエッセイの、一行目に書かれていた言葉を思い出す。
そのエッセイは素晴らしかった。
日々の中で泡のように浮き上がる、何でもない、けれど、とても色鮮やかな出来事や。 旅先で出会った光景、その空気、心をかすめていった風のような事柄に、文字という彩りを添える。
今でも本棚で一番目につきやすい場所に置き、ふと気づいた時には手に取っている。
誰かの日々をこっそりと覗き込む気分で、そろりとページをめくってゆく、私の手。
教科書の中で見た、噂の美女を塀の間から恐る恐る覗き込む、平安時代の貴族を思い出す。
エッセイにしろ、ブログにしろ。 誰かの心を少し覗くのならば、私もまた少しだけ見せてみようといういたずら心が湧いた。
だから、読みに来てくださったあなた。
初めまして。
今日一日は、なんでもない日だった。 ただ、仕事が終わって何の気なしに見上げた空。 吸い込まれそうになって、思わず写真を撮っていた。
夏の空は、手を伸ばしても届かない青色をしていると思う。 ただ、今日の空は少しだけ、見上げた人に優しかった。
「あぁ、今日を書こう」
頭の中に、視界に入りながら、黙殺していた風景が浮かぶ。 通勤という日常の中に埋もれさせてしまった、胸を突く画。
たとえば、あの家の前に咲く紫陽花。
たとえば、瑞々しく咲き誇るユリ。
いつもと何も変わらないはずの世界が、なんだかとても、きれいに映る。
かつて、貴族の女性は顔を見せず、その美しい裾のみを見せたという。
煌びやかな男性たちに夢を見せた、平安の令嬢。
もちろん、彼女たちを見習おうなんて思わない。 ただ、その「夢」を見せる姿勢が、とてもきれいに見えたから。
私がこれから書くのは、平凡な日常であり、とんでもない「きれいごと」。 もしかしたら、時には誰かのためになる何かを書くことができるかもしれない。 もちろん、誰かから呆れられる言葉をつづるのかもしれない。
願わくば、朝だけ咲き誇る小さく青い月草のように、視界に入って、忘れて、そしていつかは思い出す。 そんな言葉を、ここに落としていけたらと思う。
千羽はる